11年間成長し続けた院長が経営をバトンタッチ!
ステーションビル歯科は、混沌とした先の読めない、また展望がない歯科界で、11年間一度も前年度実績を下回ることなく成長・発展してきた歯科医院です。サテライト分院を開設したわけでもないのに、2歯科医院で3倍の業績を残し、いまだに成長しつづけています。それを牽引してきた理事長山本は4年後に第一線を退くと明言しています。そこで、理事長の意志を継いでステーションビル歯科の第2章を作り、新しい歯科医療ビジネスを確立してくれる歯科医師を募集します!
11年間成長し続けてきたからには、きっと経営の才やノウハウがあると思われるかもしれません。
そんなことはないのです!実は、どこの医療法人よりも経営が下手で、いつも会計事務所から変動経費が多すぎると忠告をうけてきました。
では何故、成長し続けているのか、それは、人の成長が最大の成功のポイントでした。
特に歯科医師の成長には目を見張るものがあり、8人の常勤歯科医師のうち4人が年収1.000万円以上です。これは彼らの持つ卓越した医療技術と人間力と言って良いでしょう。はっきり申し上げますが、彼らは年収300万円からのスタ-トでした。
矯正、インプラント、審美などステ-ションビル歯科を技術的に凌駕する歯科医院は数多くあると思います。しかし、名前を聞いただけで誰もが知っている高名な歯科医師がいるわけでもないのに、人を育て、成長し続ける歯科医院は日本にどのくらいあるのでしょうか。
理事長が偉大だからでなく、日本矯正歯科学会認定医、北海道大学保存学歯学博士、日本大学歯学部準教授が治療している現場がステ-ションビル歯科なのです。
神奈川歯科大学年卒 溝口ステ-ションビル歯科 医長 宮城 直美
きっかけは?研修で学べなかったことが学べる勉強会ありが気になりました
大学から自宅が遠かったので自宅から通勤できる範囲での就職先が無く、三月の時点でも四月から事が決まっていない研修医は私だけでした。勤務医が見つけられなければ大学にいるのも道かとあきらめている時に補綴科から、家が近い人がいたら面接に行って下さいとメモがあったのがステーションビル歯科でした。私は溝口という家からの距離感といい、研修で学べなかった私にピッタリだったのが「勉強会あり」のこの文字でした。
働いている時の感想は?厳しい理事長のこだわりが伝わって来ました
私は人より研修が足りなかったらしく最初の3年目までは理事長から顔を見るたびに怒られ、又、当時は今と違いとにかく厳しい方だったので"くっそ~!何でこんなに言われるの?!絶対に負けない!!"と自分に固く言い聞かせるほど叱られ、涙していました。その時に一番感じる事は治療に関して理事長の強いこだわりがあり、一方では基本に忠実に一工程ごとに丁寧に仕事をしていることを肌で感じました。
その経験はどのように役に立っていますか?仕事も更なる勉強も楽しい事だらけに!
入社してから8年あっという間でした。今でも理事長に怒られることはありますが、今は面白いことに怒られている感覚は無く、"そういうやり方、見方、方法があるのか?!"と別の見方を自分自身でも出来るようになり、毎日ニコニコ楽しく仕事をしています。何より今は私を支えていてくれる同僚、スタッフや、いつもあたたかい言葉をかけてくれる患者様が沢山いることです。仕事も更なる勉強も楽しいことだらけです。
入社のきっかけ
卒業を翌年に控えて、就職先を求めて歯科医院見学の毎日を送っていた大学六年生の夏休み、かねてから質の高い治療を行なうと学内で評判の高い、山本歯科医院(現ステーションビル歯科)を見学し、自分もぜひここで働きたいと思い、志願書を書き、入社することが出来ました。
働いていたときの感想
新卒で社会人としての常識も何も無い自分にまずそこから教えていただきました。それから、患者さんに対する接し方、言葉のかけ方などこまごまと。診療治療に対する気構えは、山本先生の背中を見て、治療技術面では、診療前の勉強会で教えていただいたり、アシスト(介助)についてまねる=学ぶ、ことからはじめ多少慣れてきた頃には先輩の勤務医の先生からも学ばせていただきました。今思うと患者さんや医院にはご迷惑ばかりおかけしました。当然のことながら現在の山本先生からは想像できないでしょうが、厳しいお叱りの言葉を頂きましたが、辛くはありませんでした。今の自分があるのはそのおかげだと思います。
現在ステーションビル歯科での経験がどのように役立っているか
退職し約20年、自医院を開業し約15年になる今でも公私共々山本先生には面倒を見ていただき、東大阪の私の歯科医院まで来てくださったり、学会でお会いした際にも、よきアドバイスをいただいたりすることが多いです。また自分はいわゆる兄弟子にあたる先生方にとても恵まれました。諸先輩方は山本先生に劣らず素晴らしい先生ばかりで山本先生はじめそれらの先生方の常に学び続け、自分の診療で患者さんのために役立たせようという姿勢を見聞するつけ、堕落しがちな自分の臨床を戒め向上心を持ち続け、自分を発奮させている日々です。
神奈川県大和市 かわひと歯科医院 院長 川人 崇之 1991年 日本歯科大学卒業 2000年 かわひと歯科医院開業 日本ヘルスケア歯科研究会会員 ドライマウス研究会会員 ドライマウス認定医 抗加齢歯科医学研究会会員
入社のきっかけ
日本歯科大学を卒業し、始めの三年間は都内のオフィス街の歯科医院に勤務しました。患者さんのほとんどが若いサラリーマンやOLで高齢の方や小児は少なく、有床義歯の症例などは皆無でした。さまざまな症例を経験しなければならないと考えていた私は、自分自身の知識や技術を深めるべく、歯科医師募集に給与条件や、勤務時間などの一般的な採用条件しか記載されていないものがほとんどでしたが、山本先生のところではバーティカル根充や個歯トレーを使った診療など治療の内容が示されており、これこそ私の必要としているものだと思い、入社しました。
働いていたときの感想
いざ入社してみると、それまで自分が歯科医師として培われていた三年間の経験は以下に考えが甘く、無知であったかに気付かされました。毎日のように山本先生に叱られながら仕事をするのは正直のところ、辛くもありました。ただ、日々、少しずつでも自分が何かしら成長している実感はありました。
現在ステーションビル歯科での経験がどのように役立っているか
一言で言えば自分自身の向上心のモチベーションになっています。
退職するまでの山本歯科での3年間は私にとって、治療技術の向上は勿論、歯科医師としての物の考え方や、責任感、厳しさなどを身につけられた貴重な時期だったと思っております。
ただ、今になってみるともっともっと沢山身につけることがあったのに当時の自分にはそれがわからなかったような気がします。診療のことはもちろん、他にも経営やスタッフの採用のことなど、自分には学ぶ意識がまだ足りなかったと後悔しています。
山本歯科医院を退職後は更に経験を積むため、往診治療に力を入れている神奈川県大和市の歯科医院に勤務し、その後、平成12年1月に現在のかわひと歯科医院を開業することになりましたが、今でも山本先生の元で診療していた経験を活かし、さまざまな場面でもっと頑張れるはず、山本先生ならこんなことはしないだろうなどと診療全般の心の支えとなっております。
栃木県足利市 やまもと歯科医院 院長 山本 恭司 1987年 東北大学歯学部卒業
入社のきっかけ
母校の、そしてサークルの先輩であったことで山本成允先生のことを知りました。身近な先輩方の話は皆共通していて、山本成允先生はとても厳しい先生で、しっかりした治療をなさっているというものでした。何が厳しく、何がしっかりかもわからないまま、先生の診療所を見学させていただいたとき、診療室に漂っていた緊張感と診療に向き合っておられるときの先生の情熱というか真剣さ、みなぎる力強さといったものが私にはとても新鮮に感じられ入局をお願いしたのだと思います。
働いていたときの感想、現在ステーションビル歯科での経験がどのように役立っているか
生の下で勉強させていただいた三年間自分の置かれていた環境がどれほど恵まれていたものか気付きもせずに、当時の私は目の前の治療結果に一喜一憂しながら、無我夢中で働いていたように思います。先生にはよく本気で叱られました。先生は厳しかったです。特に厳しかったのは"時間"です。一人の患者さんの治療が無駄に長くかかった時や、抜歯にしろ、抜髄にしろ、どつぼにはまって予想以上の長い時間を費やしてしまった時には大目玉を食らいました。失敗には必ずそれなりの理由があるということ、そして、やり始める前の物と頭の準備が必要なんだと教えていただきました。
あの頃の私は患者さんのためというより先生に叱られまいと、先生に認めていただけるようにと、そんな思いをどこか抱えながら働いていたのかもしれません。卒後の歯科医師として真っ白な私に先生の厳しい目が"最低限これくらいはクリアしろよ"というさまざまな基準や基本を植えつけて下さいました。
山本先生の下を離れ、自院を開業して18年が経ちました。今、自分の治療の根底にあるさまざまな基準や基本の多くはステーション歯科時代に経験し教えていただいたことであることは間違いありません。私はこれからもその部分を大切にし、継承しながら歯科医師の道を進んでいくことでしょう。山本先生への感謝と共に。
石川県七尾市 戸代原歯科医院 院長 戸代原 淳志 2000年 鶴見大学歯学部卒業
入社のきっかけ
大学卒業後地元の大学病院の歯科口腔外科に入局したのですが、居心地のいい医局ではありましたが、自分の性格ではこのままたくさんの先輩や同級生の中で埋もれてしまうという不安がありました。そこで、都会の少し厳しそうな開業医さんに身を置き研鑽を積みたいと思ったのが山本歯科医院(当時)の門を叩くきっかけでした。
働いていたときの感想
少し厳しそうな歯科医院で学びたいという思いで入社しましたが、働いてみるとがっかり、少しどころかとてつもなく厳しい毎日でした。とにかくここから逃げ出したいと思いながら自ら望んだ以上の修行僧のような歯科道漬けの毎日を暫く送っていました。
当時の思い出で一番心に残るのが、埋伏抜歯です。山本先生は開業医ということでミスを犯せば看板に傷がつくという考えは当然あったのだろうと思いますが、入社一ヶ月程の僕に埋伏抜歯の機会を何度も与えてくれました。しかし、幾度と無く機会を与えてもらっても歯はビクともせず、追い込まれ汗だくの状況を繰り返しました。ある日いつものように抜けない歯と格闘していると20分程して院長室から現れアシスタントの位置に立ち口腔内を凝視し、これまで見た事も無い穏やかな表情で無言で患者さんの口腔内にヘーベルを突き刺し消え去っていきました。そのヘーベルを抜き去ろうと捻った所分割した根がポロンと脱臼した時の感触は今でも忘れられません。
このような日々の出来事の繰り返しの中で毎日叱責される中にも自分自身の成長を感じ、本当に学び吸収できる時期が限られる中でおそらく後にも先にも一番充実した三年間だろうと思います。
現在ステーションビル歯科での経験がどのように役立っているか
退職した後も、自院の患者さんが増えずに厳しい状況を伝えると、多忙な身でありながらそれも大雪の中、のどかな田舎の外れには不似合いなテンガローハットをかぶりわざわざ激励に来てくれるような人です。他人のために敢えて、何の得にもならず、誰もやりたがらない、極悪ヒールに終始なりきってくれた山本先生と過ごした三年間は多岐にわたって影響を受けています。独立開業すると当然いろんな問題にもぶち当たります、これは歯科診療に限らず人生のいろいろな岐路に立たされ追い込まれたとき、あの頃を振り返ると何とかなるさあの環境で生き延びてきたのだから、ピンチはチャンス。落ち込んでいると山本先生にどやされる!と前向きになれます。
親には出来ない、気弱で取り柄のない一人の歯科医に自信を植え付けてくれたことが何よりです。
| 雇用形態 | 正社員 |
| 給 与 | 歯科医師 300,0000円以上 |
| 休日・休暇 | 完全週休2日制(日曜日、他1日) 年末年始、有給休暇 |
| 勤務時間 | 10:00~19:00 |
| 勤務地 | 東京都世田谷区玉川2-2-1 206二子玉川ステーションビル歯科 神奈川県横浜市港北区日吉2-1-1 2F日吉ステーションビル歯科 神奈川県川崎市高津区溝口2-1-1 4F溝口ステーションビル歯科 |