1951年横浜生まれ、高校まで山梨にて育つ。
小学校3年生の時、庭には芝生、池には錦鯉が泳いでいるまるで映画セットのような歯科医院に行き、やさしい歯医者さんとの出会いから、将来の夢は歯医者になると決断しました。
国立、私立を問わず大学入学試験で、色弱である私が差別されることを知った時はショックでした。各大学入試事務局に問い合わせて、色弱での入学試験差別がないのが東北大学だけだと知り、夢をかなえる唯一の希望の東北大学合格を目指すことになりました。
田舎の高校でのんびりしていた私の学力では、超難関の東北大学歯学部を現役で合格することは出来ず、一浪しやっと1972年に夢の一歩を踏み出しました。ここで、ハンディキャップが人を成長させることを学んだのです。
1978年東北大学卒業後、教授輩出No.1の東京医科歯科大学の第二補綴学教室に入局し、医局員のレベルの高さに圧倒されるも、同輩と切磋琢磨し、人生で一番内容の高い学びができました。
大学病院では矯正治療することなく、開院してから矯正治療を始めました。日本で開催された矯正セミナ−講師で、南カルフォルニア大学(USC)臨床教授Dr.L Rootの講義に感動し、1989年アメリカはロングビ−チまで行き、直々に指導を受けました。
そしてロンドンのDr Richard Parkhouseインストラクタ−に師事し、おかげさまで、多くの矯正患者様から感謝されています。
また、ハーバ−ド大学の友人に、1年間に3000本のインプラントオペと、インプラント医を目指す歯科医師が世界中から集まるセミナ−を主宰しているラスベガスインプラントインスチュ−トのドクタ−・チェンを紹介されました。その素晴らしいセミナ−参加のため、単身、ラスベガスに行きました。この時、まわりはアメリカ、ブラジル、スペインの先生ばかり、日本からは山本だけでした。私は、言葉の壁を乗り越え、完全に理解、マスタ−するために、5年間にわたって3回、レクチャ−とトレ−ニングを受けたのです。
高い技術力の評価が、主婦の友社から「信頼できる歯医者さん2000人」に選ばれ、日本大学歯科病院兼任講師の委嘱となりました。
毎年のアメリカでの研修を続けていく中で、患者さまの対応にカルチャ−ショックを受け、理想の歯科医療を求めて、2002年に東急田園都市線・JR南武線が交わり、活気ある溝の口駅直結の東急溝の口駅ビル4階 に「ステーションビル歯科川崎」のオープンを決断しました。ここでは歯科治療はもちろん、歯科セミナ−歯塾を主宰して、歯科に対する患者様の啓蒙、若手歯科医師、歯科衛生士のレクチャ−とトレ−ニングをしています。
日本大学歯科病院兼任講師として、臨床研修歯科医師を指導教育するとともに、主宰している歯科セミナ−歯塾には、九州は福岡、鹿児島からの参加歯科医師もおり、豊富な臨床経験を歯科界の若手育成にも情熱を注いています。
何事も手を抜くことができない性格で、患者さまの顔を見ると、全力で治療にあたり、2009年で開業30年を迎え、今までに4万人の治療にあたり、地域ではNo.1と言われています |